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ビジネスデューデリジェンスにおける競争力分析-スペシャリティケミカル業界の例を交えて-

M&Aの活発化とスペシャリティケミカル業界の概観

近年、M&A市場の活況が顕著です。2011年以降、日本の年間M&A件数は上昇傾向にあり、約2000件から4000件以上に増加しています。

M&Aが頻繁に行われる業界の一つとして、スペシャリティケミカル業界が挙げられます。この業界は、少量で高価値、超高純度の化学物質を供給し、これらの物質は、その特性や機能性に基づいて選択され、使用されます。業界内のプレイヤーは、競争優位性としての独自の技術力や製品開発能力を持っていますが、市場の変化や技術革新の速度に適応するためには、M&Aを通じて外部のリソースや知識を取り入れることが頻繁に行われます。市場は多数のニッチ分野に細分化されており、各分野の主要プレイヤーは先発メリットとスケールメリットを同時に享受できるため、高い技術的・資本的障壁が存在し、新規参入が難しい特徴があります。

買収対象の事業リスクや買収がもたらすシナジーを評価する、ビジネスデューデリジェンスは、M&Aプロセスの一環として必要不可欠です。

以上を踏まえて、本日はビジネスデューデリジェンスにおける競争力分析について、実務の観点から解説していきます。解説にあたり、スペシャリティケミカル業界から事例を取り上げながら競争力分析の実演も行っていきます。

競争力分析の概要と位置づけ

競争力分析では、主に顧客の視点に立って購買先を決める要素KBFKey Buying Factors)を特定し、対象会社と主要競合のKBF充足度を解明します。

ビジネスデューデリジェンスの内容は、実施期間や実施チームの規模によって変わることがありますが、一般的には以下のステップに従って進められます:

 ステップ1. 対象会社の事業・計画理解
 ステップ2. 事業環境分析
  2.1 市場性分析
  2.2 競争力分析
  2.3 収益性分析
 ステップ3. 修正事業計画算定

このように、ビジネスデューデリジェンスにおいて、競争力分析は対象会社の事業環境分析の一環として実施されます。前段の市場性分析では、競合・顧客などバリューチェーン上の主要プレイヤーが特定され、競争力分析の土台が作られます。競争力分析の結果は、つづく収益性分析では企業価値向上の可能性検討に方向性を示し、修正事業計画を算定するのに欠かせない事実根拠を提供します。

また、競争力分析は買い手企業とのシナジー効果を評価する上で極めて重要です。事業会社が買収を行う場合、経営統合(PMI)を通じて買収対象会社の競争力を自社の製品・サービスに適用させることで、事業ポートフォリオ全体に亘る競争力強化を実現します。一方、投資ファンドによる買収では、他の投資先企業とのシナジー効果を検証し、投資期間全体を通じて買収の価値を最大化するための戦略を立てることができます。

以上のように、競争力分析は収益性およびシナジー効果の判断に密接しており、得られた洞察はM&Aにおいて最終的に投資可否の判断と買収価格の適切算定に影響を与えます。

競争力分析の主要手法と実演

競争力分析の主要ステップには、1. KBFの特定、2. KBFの重要性評価、3. KBFの満足度分析が含まれます。この節では、これらのステップを実施するための実務上使われる手法を紹介します。また、スペシャリティケミカル業界より、日本市場における電子部品のモールディング用ホットメルト接着剤の事例を抽出して各ステップの分析を実演します。

電子部品のモールディング用ホットメルト接着剤とは、自動車などで使われる電子機器の部品固定や絶縁などに使用される特殊な接着剤です。加熱することで液体状になり、電子部品の表面に塗布しやすくなり、冷却後には迅速に固化し、強固な結合を形成することで、電子機器の部品固定や絶縁性の付与が可能です。ホットメルトモールディングは工法として高い電気的安定性と耐熱性を提供し、製造効率の向上と電子部品の信頼性向上に貢献します。

前段―市場性分析:競合と顧客の特定

競争力分析の前提として、市場性分析の段階で競合と顧客を正確に特定する必要があります。競合の特定により、分析の範囲が明確になり、より焦点を絞った分析が可能となります。重要なのは、競合全体を網羅することではなく、直接的な競争関係にある企業を抽出することです。顧客の特定では、対象企業の製品やサービスが実際に必要とされている顧客層に焦点を当てることが肝心です。

電子部品のモールディング用ホットメルト接着剤市場では、接着剤は主要素材に基づき、ポリエステル系とポリアミド系の二つに分類されます。代表的な企業として、ポリエステル系では国内大手のA社が、ポリアミド系では外資系のB社がそれぞれトップシェアを占め、国内のC社は両方の製品を取り扱っており、共にシェア二位を獲得しています。今回の実演ではこのようなトッププレイヤーを対象に分析を行っていきます。

これらの接着剤は複数の用途で使われますが、今回の実演では電子部品のモールディングという一つの用途に絞って分析するため、電子部品メーカーを主要ユーザーとして設定します。代表的な大手ユーザー企業として挙げられるのは、京セラニデック(旧日本電産)デンソーなどです。

 1. KBFの特定

KBFの特定プロセスでは、初めに顧客視点から出発して仮説を立てます。この段階で、まずQCD(品質-Quality、コスト-Cost、納品-Delivery)のフレームワークを用いて分析を行い、顧客の基本的な要求と競合との差別化要因を明らかにします。QCDに基づいたKBFは例として下記の項目がよく挙げられます。

 Q:品質の安定性、製品の性能、規格・規制の準拠など
 C:製品価格、導入コスト、ランニングコストなど
 D:製造キャパシティ、在庫対応力、納品体制など

ただし、多くの場合ではQCDだけでは不十分であり、顧客との関係性・スイッチングコストなど、他の要素も考慮し、実績などをKBFに入れる必要もあります。また、各メーカーのカタログに共通する記載項目があればKBFの要素と関連する可能性があります。

電子部品メーカーがモールディング用にホットメルト接着剤を購入するシーンでは、QCDのフレームワークを基に、仮説として次の各要素が立ててみました。

 Q:品質の安定性、耐久性、使用効率
 C:価格
 D:製造キャパシティ

今回の事例では、これに加えて、取引実績や耐熱性や耐薬品性といった性能面の特殊ニーズに応じた対応力もKBFの要素として盛り込んでみましょう。

複数の市場を対象としている場合、市場によってKBFが大きく異なる可能性があるため、各市場の特性や顧客ニーズ、文化的要因を理解することが重要です。

仮説を検証するには、顧客や競合の有識者インタビューや信頼性の高い市場レポートなどの二次情報を用いて、仮説を確認し、必要に応じて要素の補足を行います。ただし、KBFの要素の数は一般に10以下であり、後述の重要度の高さ・プレイヤー間で充足度の差の有無と合わせて項目を吟味しましょう。

 2. KBFの重要度評価

KBFの重要度を評価する際も、どの要素が最も重要か、または顧客が特に価値を置く要素は何かを判断するために仮説を立てます。各要素について「1~5」や「高・中・低」のようなスケールで段階的に評価します。仮説を立てる際に、二次情報や理にかなった推測で、各評価の背景を記しておくと説得力が裏付けられます。

今回の実演では、先ほど決めたKBFの各要素に重要度を「高・中・低」3段階で評価していきます。

この評価により、品質、使用効率、取引実績が最も重要なKBFであると仮説を立てました。検証段階では、インタビューと追加の二次調査を通じて仮説の正確性を確かめ、各要素の重要度を確定させていきます。

KBF特定のステップと同様に、複数の市場をターゲットしている場合、市場ごとに顧客のニーズが異なるため、個別分析が必要です。

 3. KBFの充足度分析

KBFの充足度分析は、企業が顧客のニーズをどの程度満たしているかを評価するプロセスです。この分析は、競争力を「15」の数値や「×・〇・」の記号で段階的に評価し、市場内でのポジションを明確にします。

KBFの充足度分析では、正確性と客観性を確保するため、仮説を設けず、二次情報による事実と有識者のインタビューで得た知見をもとに評価します。情報不足や有識者の意見が得られない項目については、信頼性のある根拠を入手するまで評価を控え、該当項目の評価欄に「N/A」を記入し、一時的に評価と比較を避けましょう。

今回は実演として、各KBFの要素に対して、主要3メーカーのKBF充足度を、市場レポートとHP、カタログから取得できる情報を基に「1~5」の数字で評価していきます。(1が最低、5が最高)

二次情報を頼って、品質・性能以外の4要素について各社のKBF充足度を初歩的に分析できました。この分析により、A社は価格と製造キャパシティにおいて優位性を持ち、B社は国内外の実績が豊富であり、充実した製品ラインナップで高いニーズ対応力を誇ると言えます。

上記のKBF充足度分析を補完・補強のためには、有識者インタビューのみならず、より精緻な二次情報調査が必要です。

これまでの1~3をまとめますと、品質、使用効率、取引実績は羅列したKBFのうち最重要であると認定し、A社B社は価格・物量と実績・対応力でそれぞれ強い競争力を発揮していると分析できました。

【まとめ】

競争力分析は、M&Aプロセスにおいて企業が市場内でどのように位置づけられているかを明らかにする重要な手段です。この分析は、ビジネスデューデリジェンスの枠組み内で特に重要であり、収益性およびシナジー効果の評価に密接に関連しています。それにより、投資の可否判断や買収価格の適切な算定に対して重要な洞察を提供し、戦略的な意思決定をサポートします。

本稿では、スペシャリティケミカル業界の事例を通じて競争力分析の実施手法とその実務上の要点について解説しました。このような分析は、業界の主要プレイヤーとその市場内でのポジショニングを深く理解するための有効な手段であり、ビジネスデューデリジェンスプロジェクトの成功を支える基盤となります。

【参考】

劉 紹亭

アーツアンドクラフツConsulting & Solution事業部/アナリスト
東京大学大学院修士課程を修了後、大手化学メーカーを経て当社に入社
企業戦略・M&A・公共事業など、戦略案件を中心に様々なプロジェクトに参画。