昨今では2015年のパリ協定における1.5℃目標(世界の平均気温の上昇を1.5℃に抑える努力をするという目標)の国際的な合意が転換点となり、気候変動対策は国家レベルの取組みから個別企業レベルへ波及してきました。それに伴い多くの国・企業が2050年カーボンニュートラル達成を表明・宣言し、目標達成に向けた法令整備、削減アクションの実行が加速しています。事実、近年カーボンニュートラルを宣言した国・地域は150以上、2050年にカーボンニュートラルに則した排出削減目標を設定した企業は世界で3,900社以上に増加しています。
特に金融業界は本業に対して重大なインパクトを及ぼす可能性が高い理由から一早く対応策を講じ、気候変動に伴い不良債権の増加や保険金支払い増加のリスクが予想されることから精彩に精査している背景があります。他業界においても多くの企業が金融業界に続くように気候変動に対するリスクを認識するようになり、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)のフレームワークなどを活用し、気候変動リスクへ迅速に対応しています。
また、2023年9月18日にはCDPがTNFDフレームワークと連携することを発表し、TNFDの存在感もますます大きくなっています。
そこで本稿では、他社に遅れを取らないようTCFD/TNFDフレームワークを活用したリスク対応を行うにあたり、分析の肝になるシナリオについて、「どのようなシナリオがあるか」「どのシナリオを選べばよいのか」でお困りの企業様向けのガイダンスになることを目的とした記事としています。
TCFDとは、G20の要請を受け、金融安定理事会(FSB:各国の金融関連省庁及び中央銀行からなり、国際金融に関する監督業務を行う機関)により、気候関連の情報開示及び金融機関の対応をどのように行うかを検討する為、マイケル・ブルームバーグ氏を委員長として設立された「気候関連財務情報開示タスクフォース(Task Force on Climate-related Financial Disclosures)」を指します。TCFDは2017年6月に最終報告書を公表し、企業等に対し、気候変動リスク、及び機会に関する下記項目について開示することを推奨しています。
TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)とは、企業や金融機関が、自然資本や生物多様性に関するリスクや機会を適切に評価・開示するためのフレームワークを確立することを目的として設立された国際的な組織のことです。TCFDの生物多様性ver.として始動したフレームワークがTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)です。
推奨される4つの開示内容(ガバナンス/戦略/リスク管理/指標と目標)の内、戦略に関するアクションとして、シナリオ分析があります。ここでは、「気候関連/生物多様性関連のリスク及び機会が組織のビジネス・戦略・財務計画に及ぼす影響」「様々な関連シナリオに基づく検討を踏まえ、組織の戦略レジリエンス」の開示が推奨され、この影響の分析のために用いられるものがシナリオになります。
シナリオ分析とは気候変動そのものの影響や、気候変動に関する長期的な政策動向による事業環境の変化等にはどのようなものがあるかを予想し、そうした変化が自社の事業や経営にどのような影響を及ぼしうるかを検討するための手法になります。こうした未来予測を行うための切り口として事業に対してのリスクと機会を検討します。リスクはその名の通り、事業に対し気候変動に伴うマイナスの財務インパクトとなり得る事象を想定します。一方機会はプラスとなる事象を想定します。
可能な限り温度帯や世界観が異なるシナリオを選択することが、 「想定外を無くす」ことに繋がります。
各シナリオの特徴やパラメータを踏まえ、自社の業種や状況、投資家の動きや国内外の政策動向に合わせたシナリオの選択が重要。継続的に実施する企業は、1.5℃シナリオを検討することも一案です。
また、今回ご紹介するシナリオレポートだけでなく、外部レポート(業界別レポート、学術論文等)や気候変動影響評価ツール(物理的リスクマップ、ハザードマップ等)も用いることができ、外部情報より、パラメータの客観的な将来情報を入手することが重要です。
この章では、TCFD及びTNFDに用いられる代表的なシナリオレポートの全体像を紹介します。
2050年までにネットゼロ排出を目指すシナリオ(NZE:Net Zero Emissions by 2050 Scenario)は、世界のエネルギー部門が2050年までにCO2排出ネットゼロを達成するための道筋を示すIEAの規範的なシナリオです。
先進国は他国に先駆けてCO2排出ネットゼロを達成する想定であり、特に2030年までの普遍的なエネルギーアクセスと大気質の大幅な改善を達成することにより、主要なエネルギー関連の国連の持続可能な開発目標(SDGs)も満たす想定です。
これは、IPCCが第6次評価報告書で評価した削減量と一致し、温度オーバーシュートがないか、限定的(確率50%)で地球の気温上昇を1.5°Cに制限することと一致します。
「持続可能な開発シナリオ(sustainable Development Scenario)」は、「パリ協定」で定められた下記の目標を完全に達成するためには、どのような道筋をたどることになるかを分析したシナリオです。
上記の目標を達成するだけでなく、「あらゆる人々がエネルギーを利用できる」ようにし、同時に「大気汚染を改善する」という目標を満たすものとなっています。
すべての目標を達成するために、このシナリオでは、エネルギーシステムのあらゆる部分で急速かつ幅広い変化が求められています。また、単一の解決策ではなく、利用可能なすべての燃料およびすべての技術を利用していくことが必要と分析しています。
2021年に導入された公約シナリオ(APS:Announced Pledges Scenario)は、最新のものを含む発表された目標が、2050年までにネットゼロ排出を達成するために必要な排出削減を実現する道筋をどの程度示しているかを表すことを目的としています。
2022年9月現在、2030年目標や長期的なネットゼロやその他の誓約について、実施法案やNDCの更新で固定されているかどうかにかかわらず、最近の主要な国の発表をすべて含んでいる。
APSでは、各国が2030年および2050年までの国家目標達成に向けた取り組みを完全に実施し、化石燃料と水素のような低排出ガス燃料の輸出国の見通しは、完全実施が世界の需要に対して何を意味するかによって形作られている。
APSでは、今年初めて、電力へのアクセスとクリーンな調理に関するすべての国レベルの目標が予定通り、かつ完全に達成されることを想定している。
温暖化を2度までに制限するシナリオ(2 degrees scenario)はもともと、気候変動による最悪の結果を回避する上限として1990年代に提案された。
UNFCCCは依然として2度シナリオを「経済的に実現可能」かつ「費用対効果が高い」とラベル付けしており、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によると、気温が2度上昇するシナリオでは、2050年までに排出量が70パーセントも大幅に削減され、2100年までに脱炭素、あるいはカーボンネガティブ経済が実現するという。
IPCCはまた、そのような大幅な削減は経済成長に影響を与えないと示唆している。
公表政策シナリオ(Stated Policies Scenario, STEPS)は、Covid-19が2021年中に徐々に制御可能なものとなり、世界経済が同年中に危機前の水準に戻るとしている。
公表されている政策意図と目標のうち、実現のための詳細な措置で裏付けられているものに限り、全て反映されている。
NGFSは気候科学者や経済学者の専門家グループと提携して一連の仮説シナリオを設計
排出量は2030年以降に減少すると想定。67%の確率で2度未満に抑制するシナリオ(移行・物理リスク高い)です。
野心的な気候変動政策が迅速に実行され、50%の確率で1.5℃未満に抑制するシナリオです。
Net Zero 2050と比較し、輸送・建築物に関する規制が厳格になると想定。50%の確率で1.5℃に抑制するシナリオです。
段階的に気候変動政策が実施され、67%の確率で2度未満に抑制するシナリオです。
Deep Decarbonization Pathways Project(DDPP:大幅な炭素削減経路の探索計画)は、世界の平均気温を産業革命前と比較して2℃以下に抑えるという目標(2℃目標)の実現に向けて、各国が低炭素社会への移行を理解し、どのように実現するかを提示することを目的として、Sustainable Development Solutions Network (SDSN)とInstitute for Sustainable Development and International Relations(IDDRI)の支援で2013年に立ち上げられたプロジェクトである。現在、日本を含めた15カ国の研究機関のほか、International Energy Agency (IEA)などの国際機関が参画している。
DDPPでは、2050年までの温室効果ガス排出量の大幅削減の技術的な可能性を2014年報告書としてとりまとめ、2014年9月に国連で開催される気候リーダーサミットに提出する予定である。また、2015年上半期には、より包括的な2015年報告書をとりまとめ、報告する予定である。
REmap2030は、2010年から2030年までに世界のエネルギー構成における再生可能エネルギーの割合を2倍にする計画を示している。これは、持続可能なエネルギーの未来を確保するために、世界が再生可能エネルギーを拡大するための現実的な可能性を決定する。
エネルギー[r]eボリューション・シナリオは、世界の平均気温の上昇を2℃未満に抑えるため、2050年までに一人あたりの二酸化炭素排出量を年1.3トン以下に減らし、世界の総排出量を1990年比で50%削減することと同時に、原子力発電の段階的廃止も目標としている。これらを達成するため、本シナリオではエネルギー効率向上のもつ潜在的可能性を最大限に追求することに重点を置いている。また熱供給と発電の両面で、費用効率の高い自然エネルギーや、バイオ燃料の生産についても評価している。
2050年にネットゼロで温暖化を1.5℃に抑えるにはまだ不十分であり、より早期の対策が必要である。IPR 2021では、1.5℃の政策シナリオ(RPS)を追加した。
温暖化を1.5℃に抑えるための主要なアクションは以下の通り。
IPR FPSは、ネットゼロを巡る投資家、企業、市民社会の圧力、気候の影響、不安定な天候、そして今後数年間の低炭素技術開発の組み合わせにより、政策立案者は2025年のパリ・ラチェットまでに変更を迫られ、その結果温暖化を50%の確率で1.8℃に抑えることができると予想している。
今後10年間の広範囲にわたる政策変更により、以下のようなエネルギーシステム全体の変革が起こると予想している。
RCPシナリオとは、AR5の気候モデル予測で用いられる温室効果ガスの代表的な濃度の仮定(シナリオ)を指している。
RCP2.6、RCP4.5、RCP6.0、RCP8.5と4つのシナリオが用意されている。数値が大きくなるほど2100年時点での放射強制力が大きくなるようになっている (RCP2.6 シナリオでは約2.6 W/m2、RCP4.5 シナリオでは約4.5W/m2、RCP6.0 シナリオでは約6.0 W/m2、RCP8.5 シナリオでは約8.5W/m2)。
これらの4 つのRCPシナリオには、非常に低い強制力レベルにつながる。
緩和型シナリオが1つ(RCP2.6 シナリオ)、安定化シナリオが2つ(RCP4.5 シナリオとRCP6.0 シナリオ)、非常に高い温室効果ガス排出量となるシナリオが1つ(RCP8.5 シナリオ)含まれる。こうしてRCP シナリオは、第3次評価報告書と第4 次評価報告書で使用されてきた「排出シナリオに関する特別報告書(SRES)」の「気候政策なし」シナリオと比べて、21 世紀の気候政策の範囲を表現できるものとなっている。
SSP Public Database Ver2.0の最新版では、SSP IAMシナリオの4つの重要な更新と拡張機能が含まれている。
自然と気候政策の2点が、将来の土地利用に対してどのような影響を与えるか、という点を示したシナリオ。主にESG投資等の主体となる投資家向けに公開されており、政府・企業といった人類の影響がどのように土地利用に影響を与えるか、という点が念頭に置かれている。
詳細は多岐に渡っており、様々な分野についての予測が実施されたシナリオとなっている。例:2030年までに生物多様性・炭素排出量の多い土地面積20%の保護が推進される、自然クレジット市場が設立される、森林破壊政策によるレピュテーションがサプライチェーンを通じて伝わりリスクが高まる、等。
上記以外にも、「炭素税・国境炭素調整制度の整備」「ZEVへの移行」「石炭禁止規制」「100%クリーンエネルギーへの移行」といった個別の政策変化についての予測を実施している。
ベンチマークとしてBAUシナリオとの比較を実施しており、このシナリオ通りに世界が進んだ場合の予測数値化も実施している。
⾷料、農業、林産物分野向けに特別に設計された気候シナリオです。
特定の政策および転換点シナリオに向けて、選択された⽣態系サービスを計算可能な⼀般均衡(CGE) モデルに統合する新しいモデリングフレームワークです。
農業、森林、漁業と⽔と海洋を含む陸地および⽔⽣⽣態系のさまざまな要素を統合するプログラムである。
世界的および地域的な政策評価に情報を提供している。森林から得られる収入と、同じ土地の代替利用(たとえば、食料やバイオ燃料用の穀物の栽培など)から得られる収入を比較可能である。
⽣物多様性と⽣態系サービスのシナリオとモデルの⽅法論的評価である。
生物多様性、人間と自然の関係、および生活の質に関する意思決定においてシナリオとモデルを使用するためのベストプラクティスの「ツールキット」を提示している。
政府、民間部門、市民社会が生息地の喪失、侵略的外来種、気候変動などの変化を予測し、人々への悪影響を減らし、重要な機会を利用するのに役立つ。
グローバルで詳細な多地域環境拡張供給利用表 (MR-SUT) および産業連関表 (MR-IOT) である。
多数の国の供給利用表を調整して詳細化し、産業ごとの排出量と資源採掘を推定することによって開発された。
その後、各国の供給と使用のテーブルが貿易を通じてリンクされ、MR-SUT が作成され、そこから MR-IOT が生成された。
製品群の最終消費に伴う環境影響の分析に利用できる。
自然資本資産と環境要因に関する地理空間データセットである。変化及び生態系サービスを生産プロセスに結びつける定性的な影響/依存性の評価を行っている。
データセットごとに更新頻度や時間的カバレッジなどのスクリーニング基準を記録し、金融機関が意思決定の適合性と頑健性を評価できるようにした。
これらの基準は、自然資本の評価と会計に関する国内および国際的なプロジェクトのためにUNEP-WCMCによって編集された以前のデータインベントリから引き出された。
特に、自然資本資産の状態や変動性の変化、ドライバーの重大度の変化を示す空間データセットは、ユーザーが生態系サービス提供の中断のリスクを理解できるように、可能な限り特定された。
キリンホールディングスは、2022年3月に発表されたTNFDフレームワークのオリジナルベータ版に従い、LEAPモデルのハイレベルでの応用が発表されました。
環境報告書2023年では優先地域を特定するv0.2の基準に従って、スリランカの紅茶農園を詳細に分析しています。
このように選定した指標とデータベースを用いて分析を行っています。
シナリオ選定の流れに関しては、大まかに温度帯や全体像などで選定し、想定される指標のあるシナリオに絞っていく流れが想定されます。
TCFD及びTNFDで適用できるシナリオは上記のように多岐に渡ります。また、シナリオレポートだけでなく、学術文献などから数値を用いることも可能であり、選択肢が多いのが現状です。本稿では、シナリオ選択の一助となるように代表的なシナリオの全体像をご紹介させて頂きました。読者の方々の業務のご参考になれば幸いでございます。
【参考】
アーツアンドクラフツConsulting & Solution事業部/アナリスト