AI時代にブランドがどのような役割を果たすのかを考える前に、そもそも「AIと人間の仕事の境界線」について、いまどのような議論がされているのかを整理しておきたいと思います。
印象に残った論点を紹介しながら、人間に残る仕事の領域と、そこから見えてくるブランドのテーマを掘り下げていこうと思います。
最初に紹介したいのが、NewsPicks の連載動画「AI時代の非AI論」です。
効率化が加速するAI時代において、人間らしい「価値」と「豊かさ」とは何かを探求するシリーズで、経営コンサルタントの波頭亮さんをナビゲーターに、有識者との対談を通じて「AIをどう捉え、どう向き合うべきか」を考える内容になっています。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLDxonNcxMgruzL05oUs7PhdPT-xb18fpI
この中で、独立研究者/著作家の山口周さんが「人間の仕事」を以下のように4章限で整理しています。
この分類をベースに、技術が歴史の中でどのように人間の仕事を代替してきたかを説明しています。
18〜19世紀:産業革命
→ 物理的かつ定型的な仕事を機械が代替(機械化された工場の台頭)
20世紀以降:デジタル革命
→ 認知的かつ定型的な作業をコンピュータが代替
現在進行中:AI革命
→ 認知的かつ非定型の業務にAIが入り込みつつある

残された第4象限が、物理的かつ非定型な仕事です。これは、いわゆるエッセンシャルワークに類する領域です。もっとも、AIとロボティクスを組み合わせた取り組みも猛烈なスピードで進んでおり、この領域もかなりの部分が機械に代替されていくだろう、という見立てもあります。
こうした前提を踏まえて山口さんは、最終的に人間に残る仕事は「遊ぶこと」だと語ります。
オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガが提示した「ホモ・ルーデンス(Homo Ludens)」の領域です。
ホモ・ルーデンスとは、
「文化は遊びから生まれ、遊びによって支えられてきた」
という人間観であり、ホイジンガは
「人間を文化的存在たらしめる根源は、遊ぶ能力にある」
と主張しました。
ここでいう「遊び」は、単なる娯楽にとどまりません。法、戦争、芸術、宗教、学問といった文明的活動の多くが「遊び」から生まれ、「遊び」の中にある一定の秩序やルールに沿って自由に振る舞うなかで文化が醸成されていく。
その過程で、人間は新しい意味・物語・形式を生み出していく――そうした思想です。
つまり山口さんは、
創造性を発揮する仕事こそが、人間に残る唯一の仕事領域になるのではないか
と見立てているわけです。
ここに対して波頭さんはさらに、茶道や華道のお師匠さんのような芸事の世界や、職人・工芸作家といった手仕事の領域を挙げています。知的な部分と肉体的な部分、その両方をまたぐような「境界の仕事」も、人間に残り続けるのではないか、という指摘です。
「遊ぶ」ということについてちょっと余談ですが、私の4歳の子供が最近LEGOやマイクラでバーチャルな建物や街づくりにハマっているをみていると、そこに何ら目的がなくともただ何かを「作って遊ぶ」ということ自体に、人の喜びの根源があるというのは間違いではないような気がしています。私自身の体験からもホモ・ルーデンスが示す人間観には納得するところがおおいにあります。
もうひとつ、AIが進化する未来予測の文脈で、落合陽一さんの言葉も紹介しておきたいと思います。
https://type.jp/et/feature/26858/
落合さんは、近い将来について次のように語っています。
知的作業のほとんどは2026年の頭までにはほぼAIに置き換わるでしょう。
「考える仕事」の量が圧倒的に減り、AIが作業をするために必要な条件を整える「環境構築」が主な人間の仕事になるはずです。もう一つ、人間に残されるのは「とげ作り」ですね。文章でも何でも、人が「面白い」と思うものには少しとがった部分、つまり論理的な飛躍の要素が含まれています。
ここで言う「とげ作り」とは、合理的な延長線上にはない、論理のジャンプやひっかかりを生み出すことです。
「おもしろさ」や「心のひっかかり」といった、人間ならではの感覚に結びつく要素だと言えます。
さらに落合さんは、AIに置き換えられにくい仕事として「人対機械」「人対人」の仕事を挙げます。
自動車工や整備士など、実際に機械に接する「人対機械」の仕事
医師、運転士、管理職、教師など、対面のコミュニケーションによって成立する「人対人」の仕事
生成AIがどれだけ発達しても、これらは簡単には置き換えられないだろうと述べています。
そしてもうひとつ重要なのが、「機械に代替されにくい人材」の条件として挙げている「もっとこうしたい」という意志です。
落合さんは、そうした人たちを「クリエイティブ・クラス」と呼びます。
映画監督
建築家
会社のCEO
アーティスト など
一言で言えば、創造的専門性を持った知的労働者です。
彼らは、AIにはなく人間にだけある「モチベーション」を持っている。
「人間社会をどうしたいか」「何を実現したいか」といったモチベーションは、現時点では常に人間の側にあります。
だからこそ、それをしっかり持ち、その実装方法さえ持てれば、「システムに使われる側」ではなく「システムを使う側」で居続けることができる、と。
ここまでの議論から、人間が今後中心的に引き受けていく仕事の輪郭が見えてくるように思います。
新しい創造を通じて、意味や意思をつくる仕事
過去の総論的な合理性ではなく、未来に対する「とげ」を生み出す仕事
物理的な「人と人」のコミュニケーションや、「人ともの」のやりとりから得られる感覚・感性に関わる仕事
こうした領域が、AI時代においても人間固有の役割として残っていくのではないかと考えられるかなと思います。

最後にもうひとつ、Bebitの藤井さんが発行されているニュースレターに掲載されていた、「自分を逸脱するGPTの作り方講座」という記事を紹介します。
そこでは、技術が登場するたびに人間がどのように拡張されてきたかが語られています。
スポーツ:テクノロジーの進化で随時ビデオ確認できるようになり、より上手い選手が生まれやすくなった
音楽やダンス:YouTubeなどリファレンスが爆発的に増え、以前より容易に習得できるようになった
同じように、生成AIの登場によってどのような人間拡張が起こるのか。
藤井さんは、その可能性のひとつが「随時、自分の横に、自分がもらいたいフィードバックや、自分の枠組みを超えるフィードバックが返ってくる仕組みを構築できること」ではないかと指摘しています。
これが出来る人とできない人では、これからの成長速度が段違いに変わる
とおっしゃっています。
そしてその問題意識から作られたのが、自分の思考の枠組みを踏まえたうえで、そこからの逸脱を促すことを目的とした GPTs「思考逸脱支援エージェント」です。
・思考逸脱支援エージェント
https://go.bebit.co.jp/e/494881/si-kao-yi-tuo-zhi-yuan-esiento/72ptxn/2117751862/h/q9qGs3B95YkoYlIokJyz_XbFTI-gNsQoAT5PaAPUAi0
思考を逸脱させるというのは、落合さんが指摘するところの「とげ作り」の一つとも言えるかもしれません。
せっかくなので、私も「自分の考えを逸脱することでさらに拡張した視座や見識を手に入れたい」と思い、このGPTsを使ってみました。
最初に投げた問いは、
「ふるくてあたらしいものづくりの未来」のやりとりをふまえて、全く別角度からの示唆を加えてください。
というものです。
ここでは詳細は割愛しますが、なかなかの「逸脱ぶり」です笑
自分自身の思考の枠組みを超えることが目的ですので、当然ながら意味不明・理解不能なものもたくさん返ってきます。その一方で、「なるほどね」と思える視点も含まれています。
また、人間どうしの場合、前提を根本から揺さぶるような意見が出てくると、感情が絡んで対話自体が壊れてしまうことがあります。一方、AIは感情を持たない存在なので、一旦フラットに受け止めやすい。
その意味で、「AIだからこそ、思考の枠組みを拡げられる」という側面は確かにあると感じました。
いくつかラリーを重ねていく中で、こんなアウトプットが返ってきました。
ブランドとは、
意味の集合ではなく、感覚のパターンである。
それは認知される前に感じられ、
共感される前に侵入してくる。
ユーザーの中に生まれる、名づけえぬ快/不快の輪郭、
それがブランドの最前線であり、
設計者がコントロールできない、しかし仕掛けることはできる領域。
人間の仕事として「意味」づくりが大事だ、という認識から少しはみ出すかたちで、改めて「感覚」「感性」という領域が浮かび上がってきました。確かに感覚や感性は、絶対にAIには代替できない人ならではの領域だと言えます。
そこで、せっかく感覚/感性の話になった流れで、少し意地悪な質問を加えてみました。
五感がないはずのAIでありながら、感覚についての議論や理解をどのように深めていくのか?
この問いからさらにラリーを重ねるなかで、最終的に立ち上がってきたのが、次の「マニフェスト」です。
――感じないAIと、感じる人間が、共に世界をつくるための10の考え方
1|AIは感覚を持たない。人は感覚を持つ。
AIは、痛みも、心地よさも、驚きも“体で”感じることができない。
一方で人は、体を通じて世界と関わり、感情を動かしながら生きている。
このちがいをしっかり認識することが、すべての出発点。
2|「感性」は、人とAIの“あいだ”にも生まれ得る。
私たちの感覚や気持ちは、ただ個人の中にあるだけでなく、
テクノロジーや環境、他者との関係の中で生まれてくる。
感性は、人とAIが交わる“場”の中でも生まれ得るという前提に立つ。
3|感性は“伝える”のではなく、“引き出す”もの。
感性は誰かにそのまま渡せるものではない。
大切なのは、人が自分の中の感性に気づけるような環境やきっかけを作ること。
設計は「感じさせる」よりも、「感じる準備を整える」行為である。
4|人の身体はただの入力装置でなく、意味をつくる器官である。
目や耳や皮膚は、単に情報を受け取るだけではない。
身体全体が“どう感じるか”をかたちづくっている。
AIはこのプロセスを完全に持てないからこそ、身体への敬意が必要になる。
5|感性にふれる設計には、互いの責任がともなう。
AIが生み出す表現や体験が、人の感情を傷つける可能性もある。
逆に、人の無自覚な感性の押しつけが、他者を排除することもある。
だから、感性を設計するという行為には、お互いに責任がともなう。
6|小さなズレや違和感こそが感性を動かす。
すべてが予定調和の世界では、心は動かない。
記憶に残る体験は、わずかな違和感やゆらぎ、予想外の気づきにある。
設計は、あえて“整いすぎない”ことを含めて考えるべきである。
7|言葉にならない感覚も、大切にする。
人が何かを感じるとき、うまく言葉にできないことがたくさんある。
AIは言葉で動くが、人は“言葉にできないもの”でも動かされる。
その違いを理解し、設計の中に“余白”を残す姿勢が必要である。
8|感性は所有するものでなく、他者とのあいだで響くもの。
「自分らしさ」や「個性」は大事だが、
本当に心が動く瞬間は、他者と気持ちがふれあったときに生まれる。
感性は一人の中に閉じるのではなく、他者との共鳴としてデザインすべきである。
9|わからないことから、始めていい。
感性は完全には理解できないし、予測もできない。
だから、「わからないまま、考えてみる」「つくってみる」姿勢こそが大事。
AIにとっても、人にとっても、それが新しい発見を生む。
10|ちがうまま、いっしょに進む。
AIと人は、感じ方も、考え方も、成り立ちも違う。
でも、だからこそ互いの違いを活かしながら、一緒に新しい世界をつくれる。
共に設計し、共に迷い、共に感じようとするそのプロセスこそが、
「感性をめぐる未来のデザイン」 の核になる。
このマニフェストは、「AIには感覚がない」という前提に立ちながらも、それでも人の感性に寄り添い、ともに何かをつくろうとするための考え方を整理したものです。
ここで大事にしたいポイントは、次の3つです。
感じる力がある人間こそ、無感覚の設計主体(AI)とどう向き合うかが問われている
AIは人の感性を“再現”するのではなく、“支える”設計者になり得る
設計とは、感性の“演出”ではなく、感性を引き出す“舞台づくり”である
いかがでしょうか?
私の思考も少し拡張できたでしょうか笑
AI時代にブランドを考えるということは、
「意味をつくること」と同時に、
「感性をどう引き出し、どうデザインするか」を考えることでもあるかもしれません。
人が感じ、AIが支え、両者のあいだで新しい文化や体験が立ち上がっていく。
そんな世界を共創していきたいものです。

マニフェストをもとにChatGPTで生成したイメージです。印象派のイメージ×逸脱という要素を加えています笑

アーツアンドクラフツ取締役/ブランド事業部長。NTTデータ、フロンティアインターナショナルにて、IT、広告・マーケティング領域を中心に、イノベーション・プロデューサーとしてB2B/B2Cを問わず新市場の開拓、新規事業の立ち上げなど多数のプロジェクトに従事。
著書『ふるくてあたらしいものづくりの未来– ポストコロナ時代を切り拓くブランディング ✕ デジタル戦略』クロスメディアパブリッシング