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未来を読み解く市場調査の教科書 – 「ヒートポンプ欧米市場」をケースに学ぶ、事業戦略立案の全プロセス

皆様は、『明日からxx市場の見立てを調べて、投資判断の材料をくれ』と言われたとき、どのように考えられるでしょうか?おそらく、多くの方は対応に困るか、もしくは着手した後に『ちょっと違う、、、』のような反応をもらった経験があるか、いずれかのパターンになると推察しております。本稿は、そんな方々に向けて、市場動向の調査をケーススタディを通してどのようにやるべきかを解説します。

ステップ1:すべては「良質な問い」の設計から始まる

市場調査の失敗は、多くの場合、この最初のステップで運命づけられています。多くの人がいきなりGoogle検索にキーワードを打ち込み始めますが、それは徒労に終わる可能性が高いです。

プロジェクトの始まりは、いつだって「問いを立てる」ことから。それも、解く価値のある「良質な問い」です。

ダメな問い vs 良質な問い

当初、私に与えられたテーマは「ヒートポンプの欧州市場の将来性を調べて」というものでした。これをそのまま問いにすると、「ヒートポンプは儲かるか?」という、あまりに漠然としたものになります。これでは、どこを調べ、何を分析すればいいのか分かりません。

そこで、私たちはまず、この大きな問いを、具体的で検証可能な小さな問いに分解することから始めました。思考ツールとしては「イシューツリー」が非常に有効です。

【イシューツリーによる問いの分解例】

  • 大テーマ:欧米でヒートポンプ事業を拡大すべきか?
    • 問い1:市場は本当に、持続的に成長するのか?
      • なぜ成長するのか?(市場ドライバーは何か?)
        • 政策や規制の後押しか?
        • 消費者のニーズの変化か?
        • 技術的なブレークスルーか?
      • 成長の規模とスピードは?(定量的な予測)
    • 問い2:市場の魅力は誰にとっても同じか?(参入障壁と機会)
      • 参入する上での課題は何か?
        • コストの壁?(製品価格、設置費用)
        • 技術の壁?(性能、信頼性)
        • 流通・サービスの壁?(施工業者、サプライチェーン)
      • 逆に、我々だからこそ掴める機会は何か?
    • 問い3:もし参入するなら、どう戦うべきか?
      • どの地域(国)を優先すべきか?
      • どのような製品で勝負すべきか?
      • どのようなビジネスモデルを構築すべきか?

この分解作業を通じて、ぼんやりとした問いからより詳細な問いへと変化します。

仮説を立て、ゴールイメージを共有する

問いを分解したら、次に「仮説」を立てます。これは、現時点での「仮の答え」です。このプロジェクトでは、私たちは以下のような仮説を立てました。

「欧州のヒートポンプ市場の成長は、消費者の自発的な選択というより、『ガスボイラーを禁止する規制』と『導入を後押しする補助金』という政策的な強制力によって、半ば不可逆的にドライブされるのではないか?」

この仮説が、調査全体の屋台骨となります。今後の情報収集や分析は、すべて「この仮説が正しいか否か」を検証するために行われるのです。

最後に、チーム全員で「最終的なアウトプットイメージ(報告書の骨子)」を共有します。今回で言えば、記事冒頭に紹介したレポートの目次のようなものです。これを最初に作っておくことで、メンバー間の目線が揃い、手戻りや無駄な作業を劇的に減らすことができます。また、このプロセスを経ることでクライアントの期待値に達することが可能になってきます。

ステップ2: 事実(ファクト)を集める技術

良質な問いと仮説とアウトプットイメージを作成したら、やっとGoogle検索に入ります。ここで重要なのは、やみくもに情報を集めるのではなく、仮説を検証するために必要な「証拠(ファクト)」を狙い撃ちで集めることです。

二次情報(デスクリサーチ)こそ、調査の土台

コストとスピードの観点から、調査は必ず二次情報(公開情報)のデスクリサーチから始めます。今回のプロジェクトで、私たちが信頼できる情報源として活用した「情報源マップ」を公開します。

リサーチ方法:

ただ単語を並べるだけでは、ノイズの多い情報に埋もれてしまいます。以下のテクニックを駆使して、情報の精度を格段に上げました。

  • フレーズ検索 (” “): “gas boiler ban” のように、単語の組み合わせを固定する。
  • AND/OR検索: (subsidy OR incentive OR rebate) AND “heat pump” のように、複数のキーワードを組み合わせる。
  • ファイル形式指定 (filetype:): filetype:pdf をつけると、公式レポートや論文など、信頼性の高い情報が見つかりやすい。
  • サイト指定 (site:): site:europa.eu のように、特定のドメイン内に絞って検索する。

「神は細部に宿る」 – 定量情報へのこだわり

このステップで最も重要な心構えは、徹底的に「数字」にこだわることです。

  • 「規制が強化された」ではなく「ドイツでは2024年1月1日から、新設暖房は65%再エネ由来でなければならない」
  • 「補助金が手厚い」ではなく「イギリスでは、ヒートポンプ設置時に定額7,500£が支給される」

こうした具体的なファクトこそが、後の分析の質を決定づけるのです。曖昧な表現は、思考停止のサイン。数字の裏付けが取れるまで、執拗に一次ソースを掘り下げることがリサーチの要諦です。

ステップ3:点を線に、線を面に – 情報の構造化と分析

さて、手元には大量のファクトが集まりました。次のステップは「分析・構造化」です。これは、集めた一つひとつの情報を関連付けて、隠れた傾向や法則を見つけ出す作業です。さらに、それらの傾向を組み合わせることで、顧客層の分布や競合との関係性といった市場の全体像を立体的に描き出すことを目指します。

フレームワークは「思考整理」

集めた情報を整理するために、ビジネスフレームワークは非常に有効です。ただし、フレームワークを使うこと自体が目的になってはいけません。あくまで「思考を整理し、洞察を深めるための道具」と捉えましょう。PEST分析(Politics:政治的要因、E – Economy:経済的要因、S – Society:社会的要因、T – Technology:技術的要因の4つの視点から外部環境を分析鶴フレームワーク)が有名ですが、今回は上記で解説した仮説を補強する為に特に規制関連に着目して分析しております。

以下「国別比較表」で簡単に解説しております。

この一枚のシートを作るだけで、各国の政策の違い(規制主導のドイツ、安定補助のフランス、ポテンシャル型のイギリス)が、一目瞭然になります。これにより、国ごとに異なる戦略が必要であることが直感的に理解できます。

最強の思考ツール:「だから何?」

分析で最も重要な思考習慣が、「だから何?」を自らに問い続けることです。これは、事実から示唆を引き出すための重要な観点です。

【「だから何?」の思考】

  • ファクト(事実): ドイツで「建物エネルギー法(GEG)」が施行され、ガスボイラーの新設が事実上禁止された。
    • → だから何?
  • 解釈①: ドイツ国民は、暖房を更新する際、ヒートポンプなどの代替手段を選ばざるを得なくなった。
    • → だから何?
  • 解釈②: これまで価格で劣後していたヒートポンプが、強制的に競争の土俵に乗せられた。需要が爆発的に増加する。
    • → だから何?
  • 示唆: 製品の供給能力と、設置工事を行う専門技術者の数が、市場成長のボトルネックになる可能性が高い。ここにビジネスチャンスがあるのではないか?(例:施工業者向けトレーニング事業、施工しやすい製品開発など)

このように、「だから何?」を5回繰り返すようなイメージで思考を深掘りしていくと、単なる情報の要約に留まらない、ビジネスアクションに直結する「示唆」が見えてくるのです。

ステップ4:戦略の立案とストーリーテリング

ここまでのプロセスで、市場の実態とビジネス上の示唆が見えてきました。いよいよ最終ステップ、これらを基に「我々は何をすべきか」という具体的な戦略を描き、人を動かすストーリーとして伝えるフェーズです。

課題と機会を「戦略」に転換する

ステップ3で見えてきた市場の「課題」は、裏を返せば我々にとっての「機会」です。先のレポートで示した4つの戦略提案は、まさにこの「課題→機会」の転換から生まれています。

  • 市場の課題:「寒冷地での性能が不安」
    • →当社の機会: 当社のコア技術(圧縮機・インバーター)を活かせる領域だ!
    • →戦略提案①: 寒冷地対応の高性能モデルを開発し、競合との差別化を図る。
  • 市場の課題:「専門の施工技術者が足りない」
    • →当社の機会: 我々が技術者を育て、囲い込めば、強力な参入障壁になる。
    • →戦略提案②: 現地の施工業者向けトレーニングプログラムと認定パートナー制度を構築する。

このように、市場のペインポイント(痛み)を解決する形で自社の強みを掛け合わせることで、説得力のある戦略が生まれます。

人を動かす「ストーリー」の力

どんなに優れた分析や戦略も、それが意思決定者に伝わり、共感を呼ばなければ意味がありません。最後は、ロジックを「人を動かすストーリー」に昇華させることです。

そのためのポイントは3つ。

  1. 結論から話す(エグゼクティブサマリー): 多忙な経営層は、詳細な分析プロセスよりも「で、結論は?何をすればいいの?」を知りたがっています。レポートの冒頭で、プロジェクトの要点と核心的な提案を簡潔に伝え、心をつかみます。
  2. 論理的なストーリーライン:なぜ今、この市場なのか(背景)」→「市場で何が起きているのか(ファクトと分析)」→「この変化が我々に何を意味するのか(示唆)」→「だから、我々は何をすべきか(戦略提案)」という、淀みない論理の流れを構築します。聞き手や読み手が、自然と「なるほど、確かにそうだ」と納得できる構成を心がけます。
  3. ビジュアルで直感に訴える: 数字の羅列や長文だけでは、人の記憶に残りません。ステップ3で作成した国別比較表や、市場成長を示すグラフなどを効果的に使い、「パッと見て分かる」資料を作成することが、理解を促進し、議論を活性化させます。

おわりに:

ここまで、ヒートポンプ市場調査をケースに、私の考える市場調査と戦略立案の全プロセスをご紹介してきました。

このプロセスで最も重要なのは、一連の流れを「型」として身につけ、繰り返し実践することです。この「問いを立て、情報を集め、分析し、戦略を描く」という基本の型さえ身についていれば、どんな未知の市場に対しても、自信を持ってアプローチできるようになります。実際に本プロジェクトを通じてクライアントの投資判断の一助になったことを後ほどお伺いすることができました。

このように、我々は既知/未知の市場を問わず、適切に分析することでクライアントを導く知見を保有しております。ヒートポンプ市場はもちろんのこと、その他の市場に関しても、市場調査や戦略策定を手掛けた実績がございますので、ご興味がある方は一度問い合わせをいただけたら幸甚です。

【参考】