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近年、企業における基幹システムの刷新、いわゆる「システムリプレイス」が急速に進んでいます。
その背景には、オンプレミスからクラウドへの移行、老朽化したレガシーシステムの限界、あるいは法制度改正やDX推進など、企業を取り巻く環境の急激な変化が存在しています。
これまで長く使われてきたERPや販売・会計システムを、最新のクラウド型基幹システムへ移行するという決断は、経営的にも大きな投資を伴うプロジェクトです。
システムの移行には「業務要件の再定義」「データ移行」「ユーザー教育」など多くの論点がありますが、意外と見落とされがちなのが「運用保守体制の整備」です。
本番リリースはあくまで“通過点”であり、その後に続く日々の運用が、システムの定着と業務効率に大きく影響を与えます。たとえば、
こうした事態は、構築がどれだけ順調に進んでも、運用の準備が不十分だったがゆえに発生するものです。
とりわけ、2020年以降の社会状況――リモートワークの常態化や業務継続計画(BCP)の強化――を受け、「安定したITサービスの持続的提供」がより重要視されるようになってきました。
これに呼応する形で、システム運用の設計・体制構築が企業の競争力を左右する要素となっているのです。
本記事では、こうした背景をふまえシステムリプレイスにおける「運用保守」に焦点を当て
構築フェーズとの連携、事前準備、運用開始後のポイントなどを包括的に解説していきます。
「運用保守」という言葉は、IT業界においてはあまりにも日常的であり、時に軽視されることすらあります。
しかし、今一度この言葉を紐解いてみると、その重要性が再認識できるはずです。
「運用」とは、システムを安定的かつ継続的に利用し続けるための活動全般を指します。
日々の業務を支えるバッチ処理、帳票の出力、ユーザー権限の管理、スケジュール通りのデータ処理など
組織の業務が“止まらない”ための仕組みを維持・管理することが主な役割です。
一方、「保守」は、予期せぬ障害や仕様変更、法制度の改正など、運用に支障をきたす要因への対応を意味します。
システムの不具合の修正、バージョンアップ対応、パラメータの調整、さらには障害原因の特定と再発防止策の策定まで、システムを「守る」活動が中心となります。
こうした運用と保守は密接に絡み合っており、どちらか一方が欠けてもシステムはその価値を発揮できません。
多くの企業が「導入まではうまくいったのに、その後が大変だった」という苦い経験を持っているのは、この運用保守の軽視が原因であることも少なくありません。
システム開発には「ライフサイクル」という考え方があります。
これは、要件定義から設計・開発・テスト・本番導入・運用・廃棄までの一連のプロセスを通して、システムがどう“生きていくか”を俯瞰する枠組みです。
この中で、運用保守は「終わり」ではなく「次の価値創造の起点」と位置づけられるべきです。
一般的に用いられるV字モデルを例に挙げると、要件定義から基本設計・詳細設計・開発・テストという一連の工程を経て、システムは本番稼働を迎えます。
しかし、V字モデルの右端に位置するのが「運用テスト」、つまり本番環境での実動作確認です。そしてこの工程の後に控えるのが、本格的な運用保守のフェーズとなります。
図示すると以下のような流れになります。
構築したシステムがどれだけ美しく、技術的に優れていても
実際の運用現場で「使いにくい」「問い合わせのたびに時間がかかる」「修正対応が遅い」といった声が上がれば
それは“失敗”と評価されることもあるのです。
近年、システムの運用保守に求められる範囲は大きく変化しています。
特に以下の3点は、従来の「障害対応+定型作業」という枠を超えた視点が求められている領域です。
ランサムウェアやゼロデイ攻撃といった脅威への対応が日常的に求められる今
セキュリティパッチの適用、監視ログの分析、アラート検知体制の構築などが、保守の一部ではなく“必須業務”となっています。
オンプレミスからクラウドへの移行、ハイブリッド環境の増加、SaaSとAPI連携による業務統合など、IT基盤はより複雑になっています。
その結果、どこに原因があるのか分からないインシデントが増加し、調査・切り分けスキルの高度化が求められています。
業務ユーザーは日々、スマートフォンアプリやSaaS製品の「直感的で快適な体験」に触れています。
その影響で、基幹システムにも“ストレスのないUI/UX”や“即時レスポンス”が期待されるようになり
問い合わせ対応やヘルプのあり方にも変革が求められています。
最後に、運用保守を軽視した場合の典型的な失敗例をいくつか挙げてみます。
こうした状態に陥ると、運用保守は単なるコストセンターと化し、業務部門からの信頼も低下します。
その結果、「あのシステムのリプレイスは失敗だった」というレッテルを貼られてしまうことも珍しくありません。
運用保守とは、“稼働を守る活動”であると同時に、“企業の成長を支える基盤”でもあります。
次章では、この重要な活動を始めるにあたって、どのような準備が求められるのかをより具体的に見ていきます。
運用保守の準備は、本番稼働の直前に急いで始めるものではありません。
本来であれば、「基本設計フェーズ」から、すでに運用の観点を取り入れておくべきです。
なぜなら、システム構築と運用保守は連続したフェーズであり、切り離されたものではないからです。
たとえば、ユーザーからの問い合わせが予想される画面や機能には、
利用ログを記録する仕組みを組み込む、あるいは特定の業務フローに対応するためのFAQを設計時から作成しておくなど、
運用時の対応を見越した構築設計が望ましいとされます。
また、構築フェーズの段階で運用担当者が設計レビューに関与することで「実際の運用で無理なく扱える仕組み」かどうかの確認が可能になります。
これは手戻りコストを下げるだけでなく、構築と運用の分断を防ぎ、業務継続性を高める上でも極めて重要です。
運用保守をスムーズに開始するには、以下のような準備が必要となります。
まず最初に取り組むべきは、運用保守で発生する作業の棚卸しです。これには以下のような業務が含まれます。
これらを定型・非定型に分け、必要に応じて頻度や優先度を付けて整理することで、体制設計や契約範囲の策定に役立ちます。
次に、誰がどの業務を担うのかを定める必要があります。一般的な体制例は以下となります。
特に、複数ベンダーが関与する場合は「どのチームがどの作業を担当するか」を契約上も明確にし、曖昧な責任範囲が生じないように調整が必要です。
システム障害や問い合わせが発生した際、誰にどのタイミングで報告・対応を依頼すべきかという「エスカレーションルール」も欠かせません。
併せて、SLA(サービスレベル合意)の設計も重要です。具体的には以下のような観点を検討します。
こうした合意は、サービスレベルの可視化と、ベンダー管理・品質管理に直結します。
運用作業が属人化しないためにも、作業手順書・FAQ・チェックリストといったドキュメントの整備は必須です。ポイントは以下の3点です。
特に運用初期は、想定外の問い合わせやエラーが頻発しやすいため、「一次対応で判断できるナレッジの蓄積」が効率化の鍵を握ります。
運用保守フェーズの開始は、本番稼働日をもって始まるように思われますが、実際には「運用立ち上げ」という一種のフェーズが存在します。
この期間は、利用者の操作ミスや業務の齟齬、設計上の想定不足、パラメータの微調整といった“リプレイス後特有の揺らぎ”が発生しやすく、構築完了=安定稼働とは限りません。
このため、多くのプロジェクトでは以下のような体制を一時的に強化します。
このように、「システムは導入した直後こそ最も不安定である」という前提に立ち
立ち上げフェーズを「戦略的に設計する」ことが必要不可欠です。
初期の対応がひと段落すると、運用は次第に通常状態に移行していきます。
このタイミングで特に重要なのが、「業務に根付く仕組みかどうか」を見極め、必要に応じて調整・改善していくことです。
たとえば以下のような兆候があれば要注意が必要です。
これらは、運用がうまく定着していないシグナルです。有効な対応としては以下が一例として挙げられます。
運用は「導入して終わり」ではありません。
導入後も、実情に合わせて運用そのものを育てていくアプローチが求められます。
安定稼働が継続するようになると、次なるテーマは「いかに運用を経営に資するものにするか」です。
そのためには、単なる事務作業や障害対応にとどまらず、以下のような視点を導入すべきでしょう。
観点 | 改善アクション例 |
コスト最適化 | 自動化・省力化、シェアード化、SaaS移行の検討 |
サービス品質向上 | SLA・CS指標の見直し、ユーザー満足度調査の導入 |
ナレッジ活用 | インシデントDB化、FAQ共有化、属人化リスクの低減 |
IT戦略連携 | 業務部門との共創、次期改善テーマの抽出、PoCの実施 |
これらは単なるオペレーション改善ではなく、「IT運用=事業活動の基盤」という認識のもとで継続的に進められるべき課題です。
本稿では、システムリプレイスにおける「運用保守」の重要性と、その準備・実行のポイントについて解説しました。
システムは作って終わりではなく、運用されて初めて価値を発揮します。そして、日々のトラブル対応や業務支援がどれだけ円滑に行えるかで、業務部門の評価やシステム定着率も大きく変わってきます。
特に昨今では、テレワークやSaaSの普及、セキュリティ強化要求の高まりなど、運用保守に求められる範囲も一層拡大しています。これまでのように「誰かがなんとなくやっている」では立ち行かず、設計された運用こそが求められる時代です。
ぜひシステムリプレイスを企画・推進する際には、構築フェーズと同等、もしくはそれ以上の熱量で「運用保守フェーズ」を設計してみてください。
その姿勢こそが、変化の時代における企業ITの“強さ”を支える礎となるはずです。
アーツアンドクラフツ Consulting & Solution事業部/アナリスト
2020年早稲田大学文化構想学部卒業。ITコンサルティング分野において、CRM/SFAシステム導入支援の実績を保有。