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「捕る漁業」から「デザインする海洋ビジネス」へ。グローバル規制の転換期におけるトレンド

海洋ビジネスの構造転換と、新たな事業のデザイン

私たちが日常的に享受している海の恵みがいま、歴史的な転換期を迎えています。長年、水産業の基本は「自然の海から魚を捕る」ことでした。しかし、地球規模の人口増加に伴うタンパク質需要の拡大や、気候変動による海水温の上昇、生態系の変化は、従来の「捕る漁業」の延長線だけでは持続不可能な局面に達しています。
こうした背景から、いま世界中で急速に進んでいるのが、人間の知恵と技術によって持続可能な仕組みをつくり出す「デザインする海洋ビジネス」です。
特に「ブルーフード(水産養殖)」への期待は極めて高くなっています。水産物は、陸上の畜産業と比較して飼料効率が高く、温室効果ガスの排出量も少ないため、環境負荷の低い次世代のサステナブルなタンパク質源として、世界の投資資金や企業の注目を集めています。
日本国内でもこの動きは加速しています。農林水産省水産庁)が主導する、地域の水産業活性化計画である「漁協の浜プラン(浜の活力再生プラン)」の後押しもあり、自動車、鉄道、化学、ITといった異業種からの養殖ビジネスへの参入が相次いでいます。独自の閉鎖循環式陸上養殖技術を用いた「ご当地サーモン」や「陸上エビ」といったプロジェクトは、地域経済に新たな活力を与える取り組みとして大きな期待を寄せられているでしょう。

ご当地サーモン

新技術によって海や陸上に新たな産業を興すという試みは、日本のビジネスの可能性を広げるものです。しかし、この新しい海洋ビジネスを真に長期的、かつグローバルに成功させるためには、技術や国内市場の販路拡大だけでなく、もう一つの重要な視点が必要となります。
それが、「グローバルな市場や環境基準と調和する事業を設計する」という視点です。
現在、世界の海洋ビジネスの周辺では、環境保護と経済活動を高度に両立させるための「目に見えないルールの網の目」が急速に構築されつつあります。本記事では、いま世界の海、そして養殖ビジネスの最前線で起きているルールの変化を建設的に紐解いていきます。

グローバル市場が求める「サステナビリティの共通言語」

海洋ビジネスをグローバルな成長軌道に乗せるためには、先行する欧州を中心とした国際市場を理解することが不可欠です。かつて環境配慮は、企業の自主的な社会的責任(CSR)や、他社製品との差別化を図るための「付加価値」と捉えられることが多くありました。しかし現在、世界の市場では、環境や生態系への配慮がビジネスを継続するための「標準仕様(共通言語)」へと進化しています。
この変化は、具体的にどのような国際機関や政府の動きによってもたらされているのでしょうか。主要な4つの潮流を整理してみましょう。

科学的データに基づく海外の養殖規制(ノルウェー政府の事例)

世界最大のサーモン養殖国であるノルウェー(ノルウェー貿易産業水産省)では、先進的な「トラフィックライト・システム」という養殖規制が導入されています。
一般的な養殖規制は個々の養殖場に対して規制が定められますが、当該規制では沿岸環境における許容量(野生サーモンへの寄生虫の影響など)をデータ化して評価し、環境負荷が低いエリア(青信号の海域)は生産枠の拡大を認め、負荷が高いエリア(赤信号の海域)は生産を制限するという仕組みです。先端技術による科学的なデータ管理によって、地域の自然資本を守りながら産業の持続可能性を高める事業デザインです。
下図のGreen/Yellow/Redの「Traffic Light」はノルウェー貿易産業水産省が最終決定・発表しています。また「Mortality Exposure(へい死リスク)」の数値は政府の諮問機関であるノルウェー海洋研究所(IMR)などが科学的に算出したデータに基づいて評価されています。

ノルウェー貿易産業水産省が発表する海域の評価とウミジラミによるへい死リスク

金融・投資ルールの変革:EU Taxonomy欧州委員会

この動きを最も強く後押ししているのが、サステナブル・ファイナンス(環境に配慮した金融)の広がりです。欧州委員会(European Commission)が策定を進める「EU TaxonomyEUタクソノミー)」は、どの経済活動が環境的に持続可能かを分類する欧州の法的基準です。
その諮問機関である「サステナブル・ファイナンス・プラットフォーム(PSF: Platform on Sustainable Finance」などの提言を経て、水産・養殖業に対しても、海洋生態系の保護や生物多様性への配慮が明確な適合要件として組み込まれつつあります。
具体的には、欧州委員会が20236月に採択した環境委任令(Regulation 2023/2486の記載を紐解くと、そこには明確に『農業、林業、そして漁業(水産業)に関しては、さらなる評価と基準の調整が必要であるため、今回は優先度を見送る』という旨が記されています。
つまり、ルール策定の難易度の高さゆえに、現在は『一時的な保留(執行猶予)期間』にあるのです。しかし、これは世界の関心が薄れたわけでは決してありません。むしろ逆であり、妥協のない厳格な基準を作るための『嵐の前の静けさ』と言えます。しかし、将来的にこの厳格な基準が本格適用された際、それに適合できない事業は、欧州の金融機関から『環境貢献事業』と認められず、資金調達で不利になるリスクを孕んでいます。
ではこのルールの保留期間を、単なる『まだ対応しなくていい時間』と捉えるべきでしょうか?それとも『世界に先駆けて最強の事業をデザインするための準備期間』と捉えるべきでしょうか?

生物多様性の純増義務化:UK Biodiversity Net Gain(英国政府)

イギリス政府(環境・食糧・農村地域省:Defra)が環境法に基づき本格始動させた「UK Biodiversity Net Gain(生物多様性ネットゲイン:BNG)」という画期的な制度もあります。これは、開発行為によって失われる生物多様性を、それ以上にプラス(10%以上の純増)にして自然に返さなければならないという義務化の仕組みです。この思想は陸上だけでなく、沿岸部や海洋開発の分野にも波及しつつあり、企業にはより高度な自然再生へのコミットメントが求められています。

海洋に特化した科学的目標:SBT OceanSBTi

民間主導の国際イニシアチブである「Science Based Targets NetworkSBTN」が進める「SBT OceanScience Based Targets for Ocean)」の存在感も増しています。これは、気候変動分野のSBTと同様に、企業が自社のサプライチェーンを通じて海洋資源や生態系に与えている影響を科学的根拠に基づいて定量化し、削減目標を設定・開示することを求める枠組みです。

これらの潮流が示しているのは、これからの海洋ビジネスにおいて、自然環境への配慮は「コスト」ではなく、「企業の財務価値や資金調達力を高めるための最も確実な戦略」であるという事実です。グローバル市場という大きな舞台で戦うためには、これらの共通言語を理解し、あらかじめ自社の事業モデルに組み込んでおくことが求められています。

日本市場の現在地と、さらなる進化の「のびしろ」

グローバルな市場がこのような変化を見せる中、日本国内の養殖ビジネスや地域活性化の取り組みは、独自の進化を遂げています。
国内では、農林水産省による改正漁業法の施行や、内水面漁業振興法に基づく「陸上養殖の届出制義務化」などの国内養殖規制により、安全でクリーンな養殖事業への道筋が整備されました。
また、前述した水産庁主導の「漁協の浜プラン」を中心とした取り組みによって、地域の生産者の所得向上や、最新テクノロジーを活用したスマート養殖の社会実装が着実に進んでいます。さらに、環境省や水産庁が推進する「Marine Protected Area(海洋保護区:MPA)」の拡充や、国際目標である「30by30(2030年までに陸と海の30%を保護・保全する目標)」に向けて、漁業者と自然保護が共存する新しい海の管理方法(OECMなど)の模索も始まっています。日本の優れた水産技術や、きめ細やかな地域管理能力は、世界に誇るべき強みです。
一方で、これらの素晴らしい取り組みを「一時的な流行」や「国内市場だけの閉じたビジネス」に終わらせないためには、もう一段上の視点へ進むための「のびしろ」が存在します。
現在、多くの国内参入企業が注力しているのは、「いかに高い生存率で効率よく育てるか(生産技術)」や「いかに独自のブランド魚として高く売るか(国内マーケティング)」という点です。前述の「ご当地サーモン」や「陸上エビ」などもこれらの取り組みの一環と言えるでしょう。ここに、世界標準である「サプライチェーン全体(ライフサイクル)を通じた環境価値のデザイン」という視点が加われば、日本の海洋ビジネスはさらに大きな飛躍を遂げることができます。
具体的には、今後の進化のポイントとして、大きく「エネルギー消費の最適化」と「サステナブルな飼料への転換」の2点が挙げられます。

進化のポイント①:エネルギー消費(温室効果ガス排出)の最適化

特に陸上養殖(閉鎖循環式)において、24時間水を循環・ろ過し、水温を一定に保つシステムは安定生産に大きく寄与しますが、同時に相応の電力を消費します。このエネルギー源を、再生可能エネルギーの導入や省エネ技術の組み合わせによってクリーンに制御できれば、製品の「カーボンフットプリント(温室効果ガス排出量)」は劇的に抑えられます。これは、脱炭素経営を目指す現代のグローバル企業にとって、非常に魅力的な調達先となる条件です。

進化のポイント②:サステナブルな飼料へのシフト

養殖魚の餌となる魚粉(フィッシュミール)において、天然資源に依存しない代替タンパク質(昆虫、微生物、植物由来など)のブレンド比率を高める研究が進んでいます。飼料の調達段階から環境に配慮された事業モデルをデザインすることは、海洋資源の保全に直結するだけでなく、将来的な魚粉の価格高騰リスクから事業を守る「レジリエンス(企業の危機管理能力)」の強化にも繋がります。
「美味しい魚を安定して育てる」という技術の先に、「この魚を選ぶことが、世界の海と地球環境の未来にどう貢献するか」というストーリーをデータで証明できる事業デザイン。それこそが、日本の海洋ビジネスが次に取り組むべきものでしょう。

ビジネスをデザインするための「2つの問い」

気候変動、新技術の台頭、環境省や水産庁による国内の施策、そして刻々と変化するグローバルな規制。これらが複雑に絡み合う海洋ビジネスの領域において、私たちコンサルタントが果たすべき役割は、単に現行の法制度に基づく手続きを支援することではありません。
未来を見据えた高い視座から、クライアントと共に事業の本質に向き合い、新しい価値を創造するための「問い」を立てることです。ここに、これからの海洋ビジネスを抜本的にデザインするための2つの問いを提示します。

【問い①】その事業デザインは、サプライチェーン全体で「海の未来」への貢献を可視化できているか?

最初の問いは、事業が持つ社会的価値を最大限に引き出すためのものです。
最先端の養殖技術や、地域の漁協と連携したプロジェクトを立ち上げる際、多くの企業はその素晴らしい「技術」や「地域の想い」をアピールします。しかし、それをグローバルな投資家や大手流通企業が納得する「客観的なデータ」として可視化できているでしょうか。
前述のEU TaxonomySBT Oceanといった国際的なフレームワークは、企業に対して「なんとなく環境に良い」ではなく、「科学的根拠に基づいた透明性のある情報開示」を求めています。
私たちが事業会社と共に取り組むべきは、「サステナビリティの構造化と見える化」です。

  1. 事業で使用する電力を、どのように持続可能なエネルギーへシフトしていくか。
  2. 調達する飼料のトレーサビリティ(追跡可能性)をどう担保するか。
  3. 海洋保護区(MPA)などの周辺環境へ、どのようなポジティブな影響を与えているか。
  4. それらの取り組みを、国際基準に照らしてどう証明するか。

自社の事業プロセスを川上から川下まで見つめ直し、すべてのフェーズで環境価値をロジカルにデザインすること。この問いに向き合い、データを武器に自らの正しさを証明できる企業は、世界中のサステナブル調達のネットワークにおいて「選ばれる取引先」となり、ブランド価値を飛躍的に高めることができます。

海の未来への貢献の可視化

【問い】グローバルなルール変更を、自社の競争優位性を構築する「デザインのツール」としてどう活用するか?

2つ目の問いは、規制や国際基準を戦略的な要素へと転換させるためのものです。
新しい環境規制や国際認証の標準化というニュースを聞くと、多くの企業はそれを「対応しなければならない業務(コストや制約)」と捉えがちです。しかし、真にイノベーティブな事業戦略を描く企業は、まったく逆の発想をします。彼らにとって、「新しく、より厳しいルールが登場することこそ、市場でのリーダーシップを握る最大の好機」なのです。
例えば、競合他社が国内の標準的な基準だけで満足している間に、あえて自社だけが最初から「EU Taxonomy」や「SBT Ocean」といった厳格な基準をクリアできるように事業モデルを設計したとしたらどうなるでしょうか。
確かに、初期の設計や認証取得、サステナブルなサプライチェーンの構築には投資が必要かもしれません。しかし、その高いハードルを最初に超えたという事実そのものが、他社が簡単には真似できない「最強の参入障壁」へと変わります
ルールを「守るべき制約」として受動的に捉えるか、それとも「市場での優位性を決定づけるデザインツール」として能動的に活用するか。この視座の転換こそが、一地域での成功にとどまるか、グローバルな海洋ビジネスにおいて市場の主導権を握る存在へと飛躍するかの境界線です。

グローバルなルール変更への対応方針と、5年後の未来の比較

事実と問いから海洋ビジネスをデザインするということ

海洋環境とビジネスの交差点は、まさに正解が刻々と変化する「フロンティア」です。気候変動による自然環境の揺らぎ、国際政治や金融市場が求める新しい開示ルール。これらが複雑に絡み合う領域では、過去の成功体験がそのまま未来の正解になるとは限りません。
この領域におけるコンサルティングの本質は、あらかじめ用意されたマニュアルを提示することではありません。
世界基準の最新の事例を緻密に集め、複雑な社会課題をビジネスの文脈へと構造化し、クライアントがさらなる高みへ進むための「本質的な問い」を投げかけることです。これこそが、不確実な未来において、クライアントが自信を持って進むべき「持続可能な海洋ビジネス」を設計するための羅針盤となります。

 

【参考】

藤本光佑

アーツアンドクラフツConsulting & Solution事業部/アナリスト。得意分野はサステナビリティ、決済事業、エネルギーなどの事業戦略の提案や、それに伴う調査